浦幌町発祥の地の紹介
浦幌開拓の碑
アクセス
国道38号共栄交差点より、道道直別共栄線直別方面に1.7キロメートル。町道統太養老線を曲がり、直進1.7キロメートル。町道生剛朝日線を曲がり、0.3キロメートル。町道発祥の地線を曲がり、0.2キロメートル左側。
概要
明治33年4月1日、大津村外六ヶ村戸長役場から生剛・十勝・愛牛の3村が分離独立して、この地に生剛村外二ヶ村戸長役場が設置された。このときをもって浦幌町の誕生としている。
当地は十勝の玄関と呼ばれた大津にもっとも近い利便性で下浦幌原野の一部で明治29年から殖民地区画がなされ、岐阜農場や土田農場の事務所も置かれて村の中心地となり、前後して下浦幌駅逓所・浦幌簡易郵便局・浦幌尋常小学校(吉野小学校の前身)・生剛村巡査駐在所などの官公庁・旅館・理髪店・下駄屋・豆腐屋・獣医院・病院・鮮魚商などが順次整備され、市街地を形成した。明治31年には戸数265戸・人口1,174人となり、開墾最前線地と大津を結ぶ中継基地の役割を果たしていた。しかし、明治36年12月に省線釧路線が浦幌釧路間に開通して浦幌駅が開業したため、官公庁を始めとする主な施設は浦幌駅に移転。この市街地はわずか数年で姿を消し、一面の畑地と化した。
その後、生剛村は明治39年愛牛村と合併して二級町村生剛村、十勝・鼈奴・大津・長臼の4村は当縁・旅来の2村と合併して二級町村大津村となった。同45年、生剛村は浦幌村と改称。昭和29年町制を施行して浦幌町が成立。同30年、大津村のうち大字十勝村・大字鼈奴村・大字大津村の一部・大字長臼村の一部を編入して現在の町域が確定した。
明治35年頃の生剛村市街図
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